復帰50年、慰霊の日に沖縄を訪問する

6月21日、6月議会最終日に提出された「沖縄戦戦没者の遺骨を含む土砂を埋立てに使用しないことを求める意見書」が、自民・公明の反対多数で否決されるという非常に悲しい結果となりました。私はその翌日から沖縄に飛び、6月23日の慰霊の日を現地で過ごしてきました。

もともとは議会終了後の完全なプライベートの予定であり、慰霊の日を意識したわけではなかったのですが、結果的にこのようなタイミングとなったのは導かれるものがあったのかもしれません。政務活動費を使った視察というわけでもありませんが、いくつか見てきたものを共有したいと思います。

初日に訪れたのは、対馬丸記念館です。学童疎開船「対馬丸」は、那覇港を出港した翌日である1944年8月22日の夜、米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃により撃沈され、およそ1800名の乗客乗員のうち、1484名が命を落としたそうです。犠牲者の遺影・遺品の展示のほか、生存者・遺族の証言を聞くことのできるコーナーもあります。記念館近くにある慰霊碑「小桜の塔」もあわせて訪問し、手を合わせてきました。

 

訪問2日目の6月23日、慰霊の日に訪問したのは、那覇市歴史博物館で開催されていた日本復帰50周年記念企画展、那覇市民ギャラリーで開催されていた沖縄の写真家による復帰50年写真展です。沖縄の歴史と戦争、そして基地の存在が切っても切れない関係にあることがよくわかります。それだけでなく、1879年の「琉球処分」にも代表されるように、独自の文化をはぐくんできた「琉球」が周辺の国との関係の中で翻弄されてきた歴史を改めて感じます。

黙祷が呼びかけられていた正午、私は那覇市内中心部の県民広場にいました。観光名所の国際通りに隣接する場所でしたが、行き交う人々は特に立ち止まるでもなく、普段と変わらない様子で過ぎていったのは意外でした。報道等では「沖縄は今日一日祈りに包まれた」のようなお決まりの表現をすることが多いですが、人々の意識にも濃淡があるのかもしれないという現実も感じました。

その他、那覇市内の様々な公共施設も見学しました。ひな壇状の屋上庭園が設けられた独特のデザインである那覇市役所、昨年10月に開館した大小の劇場やスタジオからなる那覇文化芸術劇場なはーと、2018年12月に開館した郷土資料室や子どもの読書活動推進エリアを備える沖縄県立図書館、沖縄の城(グスク)をイメージしてデザインされた沖縄県立博物館・美術館などです。

沖縄は青い空と海、たくさんのおいしいものなど魅力にあふれた人気の観光地ですが、辿ってきた歴史や今も続く基地問題などを踏まえ、これからも沖縄の人々の思いに寄り添っていきたいと思います。

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