「西東京市平和の日」イベントに参加

B29の爆撃により多くの尊い命が奪われたのが1945年の4月12日。西東京市ではこの日を西東京市平和の日と定めています。アスタセンターコートでイベントが開催され、私も参加しました。

式典での市長と非核・平和をすすめる西東京市民の会会長の挨拶に続いて、平和の日に関する講話があり、空襲体験二世として「語り部」の活動をしているお二人の話がありました。

和/Nagomiさんによるミニコンサートでは、西東京市の平和事業である広島平和の旅から生まれた歌「未来の空へ」など素晴らしい歌声を聴かせてもらいました。

市内の小中学校でも、西東京市平和の日のことを取り上げているとのこと。子どもたちに西東京市であった戦争の歴史を語り継いでいかなければなりませんね。

これに先立って4月8日には、旧田無市の初代市長である指田吾一氏の『原爆の記』をアニメーション化した作品の上映会がありました。今年度、市長が平和施策を「子ども」「環境」と並ぶ施策の柱として打ち出したことも影響しているのかもしれませんが、会場にはこれまでにないくらいの多くの方が足を運んでいて、平和事業に関心のある市民の多さを感じました。

またこれは別日ですが、西東京市内で戦争の歴史を伝える2つの場所を訪れましたので、あわせて紹介しておきます。地元の歴史を知ることは興味深いです。

【しじゅうから第二公園】
西武柳沢駅南口から歩いて数分の小さな公園ですが、米軍により模擬原子爆弾が落とされ、農作業中の3人が死亡、11人が負傷したという歴史があります。その歴史を伝えるものは写真の看板だけなので、近くに住んでいても知らない方がいるかもしれません。

【幻の鉄道】
車が通るにしては不自然な大きさのガードは、かつて中島飛行機の部品を運んでいた軽便鉄道の跡と言われています。トンネルは昭和2年に西武鉄道が開通したときから存在していたそうですが、軽便鉄道はそれを利用したのです。青梅街道のガードから少し柳沢寄りのところにあります。そういえば、私もかつて田無一中に通っていた頃、この幻の鉄道について調べた記憶があります。ふと懐かしく思い出しました。

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